台南を離れるとき、台湾で小屋暮らしをしているアクンから一枚の紙を渡された。
アクンについてはこちら過去記事→台湾のBライファー?
「ぷりぷり 形容詞」
全く意味がわからん!
面白い変なおじさんだった。
・・・
ところで、訪台の目的のひとつが台湾に残る古い日本語の録音。
きっかけは6年前、台北市内にある寺院の前を歩いていると突然、高齢の台湾人から声をかけられたこと。
私に向かって一生懸命、日本の言葉で話してくれようとするが、なかなか思い出せないのが悔しいらしく、しまいには日本の軍歌を高らかに歌われた。
私は緊張して直立不動のまま動けなかった。
それにともなって、日本語教育を受けた世代が存在する。
今となっては皆さんお年寄りばかりだが、それでもとても流暢に話される方がいる。
その言葉は現代のお年寄りが話される言葉とは微妙に違う。
例えば「台北」を「たいほく」と呼んだり、「あなた」というのを「先生」と言ったり(これは思い切り中国文化の影響だろうけど)他にも微妙に違う。
特に台湾の田舎では日常で日本人と接する機会も少ないので、70〜80年前の言葉が現代化されず、冷凍保存のように残っている。
その言葉を録音している。
そのために、毎日のようにお年寄りを見つけては声をかけている。
大抵、お年寄りは昔を懐かしく思って様々なお話をしてくれる。
もちろん、日本統治時代を忌まわしく思っている方もいるし、誰でも相手にしてもらえるわけではない。
時にはあからさまに無視されるとか、手で追い払われることもある。
それは仕方のないことなので、しんどい時は甘い台湾スイーツ食べて気を持ち直す。
映像で残したいとも思うが、やっぱりビデオカメラの前で話すのはプレッシャーになるだろうし、そもそも戦時中の世代の方はみなさんカメラが嫌い。
なので小型マイクを片手に話を聞いている。
そして「最後に写真を2枚ほど撮らせていただけないか」とお願いするが、承諾していただけると、みなさん背筋をシャキッと伸ばして立たれる。
それでも、あと5年早く来ていれば良かったなと後悔している。
それでも、あと5年早く来ていれば良かったなと後悔している。
亡くなられた方も多いし、存命されていても耳が遠くてコミュニケーションを取るのが難しい・・・。
・・・
昨日から台東に来ている。
台東は台湾に数ある先住民の中でも、アミ族、プユン族が多い。
食堂でご飯を食べようとすると、日本語で大声で話しながら店内に入ってくる2人のお年寄りがいた。「失礼ですが、台湾の方ですか?」と聞いたら、やはり日本語教育を受けた世代の方。普段も、日本語で生活しているとのこと。その後、やたら話が弾み、ご飯やビールもおごってもらってしまった。日本と台湾は「恋仲」だと仰っていた。
・・・
これは昼ごはん。毎日食ってる魯肉飯と卵スープ。
180円ぐらい?
最高の昼寝スポット。