2016年1月19日火曜日

日本語世代

(この記事には時差があります)

台南を離れるとき、台湾で小屋暮らしをしているアクンから一枚の紙を渡された。
アクンについてはこちら過去記事→台湾のBライファー?


「ぷりぷり 形容詞」

全く意味がわからん!
面白い変なおじさんだった。


・・・


ところで、訪台の目的のひとつが台湾に残る古い日本語の録音。
きっかけは6年前、台北市内にある寺院の前を歩いていると突然、高齢の台湾人から声をかけられたこと。
私に向かって一生懸命、日本の言葉で話してくれようとするが、なかなか思い出せないのが悔しいらしく、しまいには日本の軍歌を高らかに歌われた。
私は緊張して直立不動のまま動けなかった。

御存知の通り、台湾は1895年〜1945年まで日本統治が行われてきた。
それにともなって、日本語教育を受けた世代が存在する。
今となっては皆さんお年寄りばかりだが、それでもとても流暢に話される方がいる。
その言葉は現代のお年寄りが話される言葉とは微妙に違う。
例えば「台北」を「たいほく」と呼んだり、「あなた」というのを「先生」と言ったり(これは思い切り中国文化の影響だろうけど)他にも微妙に違う。
特に台湾の田舎では日常で日本人と接する機会も少ないので、70〜80年前の言葉が現代化されず、冷凍保存のように残っている。

その言葉を録音している。
そのために、毎日のようにお年寄りを見つけては声をかけている。
大抵、お年寄りは昔を懐かしく思って様々なお話をしてくれる。

もちろん、日本統治時代を忌まわしく思っている方もいるし、誰でも相手にしてもらえるわけではない。
時にはあからさまに無視されるとか、手で追い払われることもある。
それは仕方のないことなので、しんどい時は甘い台湾スイーツ食べて気を持ち直す。

映像で残したいとも思うが、やっぱりビデオカメラの前で話すのはプレッシャーになるだろうし、そもそも戦時中の世代の方はみなさんカメラが嫌い。
なので小型マイクを片手に話を聞いている。
そして「最後に写真を2枚ほど撮らせていただけないか」とお願いするが、承諾していただけると、みなさん背筋をシャキッと伸ばして立たれる。

それでも、あと5年早く来ていれば良かったなと後悔している。
亡くなられた方も多いし、存命されていても耳が遠くてコミュニケーションを取るのが難しい・・・。


・・・


昨日から台東に来ている。
台東は台湾に数ある先住民の中でも、アミ族、プユン族が多い。

食堂でご飯を食べようとすると、日本語で大声で話しながら店内に入ってくる2人のお年寄りがいた。「失礼ですが、台湾の方ですか?」と聞いたら、やはり日本語教育を受けた世代の方。普段も、日本語で生活しているとのこと。その後、やたら話が弾み、ご飯やビールもおごってもらってしまった。日本と台湾は「恋仲」だと仰っていた。


・・・



これは昼ごはん。毎日食ってる魯肉飯と卵スープ。
180円ぐらい?


最高の昼寝スポット。

4 件のコメント:

  1. 初めまして、バンクーバーに住むものです。生徒に台湾の方が多く、助けられています。みんな中年ですが、親世代が歌っていた日本の童謡よく歌ってくれます。それとあたまひんくりこんくりって、そういえば私も幼いころ聞いたことがあるような。よその国を占領して、言語まで占拠してしまうなんてもうしわけないことでした。http://www.cyanagitani.com/

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    1. 返信が遅くなり申し訳ございません。
      先生をされてらっしゃるのでしょうか。
      カナダはよさそうなところですね。
      一度訪れてみたいものです。
      台湾には数々の古い言葉が残っています。

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  2. 数年前韓国に旅行した時に、非常に綺麗な日本語を話される方(70代の方)とお会いしたことを思い出しました。子供の頃今の中国に住んでいて、日本語教育を受けていたとか。
    日本の敗戦後、その方は家族と共に韓国へ。帰国後韓国語が全くわからず、一から勉強し非常に苦労したとか。

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    1. 返信が遅くなり申し訳ございません。
      戦争によって人生を左右された方々は驚くほど大勢いらっしゃるんでしょうね。
      私がお会いした92歳のお年寄りも、中国語より日本語のが得意とおっしゃっていました。

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